2004年10月23日、山古志村は震度6という強震に見舞われました
山が崩れ、道路が寸断され孤立した住民
さらに牛舎、棚田そして錦鯉まで壊滅的な被害により
== 当時の長島村長が全村避難を決断 ==
救出を2日間で終了した
そして11周年の追悼式が10月23日午後5時56分より旧山古志村にて始まり
式典では
長 岡 市 長
新潟県知事
そして
神戸を代表して
平野 章三
お礼のご挨拶は
長島復興副大臣
( 当時の山古志村村長 )
がされました
当日、平野は長年山古志と交流し続けている神戸の方々と朝から車で7時間走り続けて山古志へ
〜〜15時に到着 〜〜
棚田の風景や世界的に有名な山古志村の錦鯉を見させて頂き
・・・式典まで地元の方と 1 時間半懇談致しました・・・
地震発生の日から今日まで、強い絆が自然体で出来上がっている
“ 山古志村の人々の生きざまをお聞きし ”
“ 感動 ”のあまり言葉が出なくなり、聞き入っていました
地元の方は、黙り込んでいる平野を見て 〜
面白くない話?関心がない?と気遣かわれたようでした
そこで、只々感動していた事を伝えると
《 山古志の人々はこれが当たり前の生き方ですよ 》
と話してくださいました
当初、神戸の事を追悼式で話したいと思っていましたが
一気に気持ちが動かされ
思いのまま挨拶する事にしました ‼️
また、現地に行き、そこで日々生活されている人々に出会えたことは
〜〜〜 平野にとって忘れ得ない1日でありました 〜〜〜
さらに、その晩は長島復興副大臣の宿で村の人たちと語り合った事など
いつまでも記憶に残る 〜 ひと時でありました
ああ〜それと
錦鯉の販売先の9割が海外であるとお聞きし、
驚きでした・・・
神戸市会議員 平野章三