被災地のがれき広域処理要請を各自治体にされた野田佳彦首相 〝日本人の国民性が再び試されている〟 と指摘・・・
この頃から受け入れ表明をしていない自治体は肩身が狭く感じさせるようなマスコミや日本の風潮、そして冷静な判断が失われていくのが目に見えるような感じがします。
いつの間にか国の責任が各自治体の責任であるかのように変わっていくことに危惧しています。
そして国は〚がれき〛という一言の表現で ~~
しかし、そこには不燃物や可燃物の種類、再生利用物、セシウム濃度や水溶性、安全基準、処理方法や財政負担の問題、そして最も重要な地元住民への説明と理解などに対し、国はまず明確な基準や考え方を示すべきであります。
そこではじめて各自治体や地元住民が判断することができるのであります。
受け入れ表明した自治体でも必ず一定の条件をつけ問題点の指摘や解決等を求めていますので、結果的には国の考え方を示さなければ受け入れは簡単にできない状況であります。
加古川市議会の〝がれき受け入れ決議〟 も最終処分の完結まですべて加古川市で出来る上での決議であれば評価させていただきます。
しかし、〝市民の理解を得ること〟を前提と条件をつけられ、さらに焼却灰の処分(神戸沖処分場海面埋立)も見通しをつけずに決議だけを行い、後は加古川市に対応をまかせるとしたならばそれは責任なき行動ではないでしょうか。
又、三木市も受け入れについて条件の表明であり、その条件はやはり住民の同意を得られることや、国が明確な考え方を示していない神戸沖処分場(大阪湾フェニックス計画) に最終処分すること等を条件にしており、同市の民間最終処分場には拒否の意思を示すなど何ら目途が立っていない状況での条件付表明はまさにパフォーマンスに見え、一体何の意味があるのでしょう。
関西広域連合も何をもって2000ベクレル以下に、そして又その他の問題にも言及せず受け入れの決定をされたことに各自治体への責任が持てるのでしょうか。
方針の決定をされた兵庫県自体 処分出来ず各市町村に依頼せざるを得ない状況であります。
そこで神戸市会としては、まず国が先立って種々の課題に対して明確な基準や考え方を示すことが必要であると 《意見書》を提出致しました。
いずれにしても地元住民の理解が最終的に最も重要な課題であることは各自治体も同じことであり、私はパフォーマンスに踊らされず、政治活動に責任ある行動だけは貫いていくつもりであります。
神戸市会議員 平野章三